Ave Verum Corpus [クラシック]


Ave Verum Corpus in Nodame Cantabile

1年前だけど、ドラマ「のだめカンタービレ」ヨーロッパ編、見ましたか?
そこで素敵に使われていたこの曲、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。

1791年6月17日。この曲はモーツァルトによって作曲されました。
35歳の若さでこの世を去る約半年前のことです。

ウィーンでモーツァルトがオペラ「魔笛」などの作曲に忙殺されていた頃…妻コンスタンツェは翌月に出産を控えていました。
妻の療養先バーデンで親切に妻の世話をしてくれていたのは友人の合唱指揮者シュトル。
彼への感謝の気持ちをこめて、モーツァルトはこの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を作曲し、贈呈しました。

混声4部合唱と弦楽・オルガン編成のたった46小節の小さな曲。

この小さな教会音楽は、どうしてこんなに美しく、こんなにも胸をうつんだろう。。


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2/1、モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」の本番を終え、今はまだその余韻が残っています[ひらめき]
(写真はゲネプロ後休憩中に写しちゃいました♪)

私がフルートをなんとなく始めたのは、小学校高学年で入った「器楽クラブ」がきっかけ。
フルートが何かも知らなかった私。そんな私に母が与えてくれたカセットテープに、この「フルートハープ」の第2楽章が入っていた。

そんな頃から何度も何度も聴いた大好きな曲を、ハープとオーケストラと、コンサートホールで演奏できたということが、本当に幸せでした(^^)[ぴかぴか(新しい)]
第2楽章を吹いている時は特に、本当に幸せで幸せで[揺れるハート]


モーツァルトの音楽って一見シンプルなのだけど、様々な感情が込められていて、尚且つものすごく洗練されてる[ぴかぴか(新しい)]
アヴェ・ヴェルム・コルプスもそうだけど、この第2楽章も、その音楽の美しさったら…まさに天からの贈り物[ぴかぴか(新しい)]

この曲の美しさはハープさん無しでは語れません[るんるん]
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本当に美しい、天国系の音でした[るんるん]ぽろろ~ん[るんるん]
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こんなすばらしい曲を作ってくれたモーツァルトに感謝[揺れるハート]

この曲はモーツァルトがパリ滞在中にピアノを教えていたハープが上手な生徒さんの結婚祝いとして作曲されたのだそう♪そしてフルートは、その生徒さんのお父さん。つまり父娘共演だったんですねぇ♪

私達もそんな幸せな音楽でお客様に幸せな時間を過ごしていただけたかしら?[かわいい]

本当に今回もたくさんのお客様にご来場いただき、本当に感謝感激でした!!
共演者の神谷さん、オケの皆さん、聴きに来てくれた方々、皆様ほんとうにありがとうございました!![わーい(嬉しい顔)][ハートたち(複数ハート)]

これからも、がんばるぞ~[晴れ]
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☆お知らせ☆ [クラシック]

コンサートについての、お知らせです[ぴかぴか(新しい)]

[ひらめき]あつたモーニングコンサート
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「あつたモーニングコンサート」のホールリハーサルを水曜日にしてきました☆
(共演者の山内さんブログhttp://perleay.exblog.jp/7801798/もチェックしてみてください♪)
本番一週間前にホールで3時間もリハーサルできるなんて、本当にありがたかったです♪

実はこの日にプログラムが確定しまして、以前ブログにアップしたフォーレの「月の光」が諸事情により、「またの機会に…」ということになってしまいました(笑)せっかくブログアップしたんですけどねぇ(^^;

もちろん、他の曲もぜ~んぶステキな曲ですので[ぴかぴか(新しい)]平日朝ですが、よかったらぜひぜひお越し下さい[揺れるハート]
私と山内さんのどうなるかわからないトークと共に、フルートとピアノによるフランスの名曲をお楽しみいただけたらと思います[ぴかぴか(新しい)]


Carmen Fantasy
※コンサートの最後に演奏する「カルメン幻想曲」のオーケストラ伴奏版があったので、のっけてみました☆この演奏は実際の曲のちょうど半分くらいから始まってる♪ 最初のフレーズ、聴いたことありませんか?オペラ「カルメン」の中でも有名な「ハバネラ」です♪それから「ジプシーダンス」「闘牛士の歌」へ♪



[ひらめき]フルートとハープのための協奏曲

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■2009年2/1(日)14:00開演 熱田文化小劇場
■チケット全自由席 3,000円
■神谷知佐子(Hrp)、日置智美(Fl)、アルマ室内管弦楽団 他
■曲目 
グリーグ/ホルベルグ組曲 (弦楽合奏)
モーツァルト/協奏交響曲 変ホ長調 (オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴット)
モーツァルト/フルートとハープのための協奏曲
こちらもお知らせさせてください♪
この曲は、フルートの超超超名曲として知られています[ぴかぴか(新しい)]
本当に大好きで、いつか演奏できたらいいなぁ[揺れるハート]と夢見ていました(^^)
その夢叶って、2/1、「あつたモーニング」と同じ会場でアルマ室内管弦楽団とハープ奏者の神谷さんと共演させていただくことになりました☆

プロオケと共演できる機会というのはなかなかなくて、私は名フィルと共演して以来…たしか3年ぶりくらいになります。
今はあつたモーニングの練習中心ですが、終わったら切り替えてコンチェルトがんばらなくては!!と思っています♪
カデンツァはライネッケを吹く予定です♪

この曲は息つく暇もないほど次々と表情を変え、しかも自然に、感動的に流れていきます。
この時代の作曲家には考えられないこのバランス感覚。[ぴかぴか(新しい)]この優雅さ、美しさ[ぴかぴか(新しい)]大好き[揺れるハート]

この曲を演奏できるのが、本当に本当に楽しみです[わーい(嬉しい顔)][揺れるハート]

チケット&チラシはお送りすることも、当日おとり置きすることもできます♪
是非コチラ↓へお気軽に御問合せ下さい♪
tomomickey1123@yahoo.co.jp



[ひらめき]JWECC2009~オープニングガラコンサート「協奏曲の夕べ」

私の所属する吹奏楽団『名古屋ウィンドシンフォニー』が吹奏楽の祭典、「JWECC」でオープニングコンサートします♪
■2009年3月13日(金)岡崎市民会館 18:30~
出演
フルート:前田 綾子
トロンボーンソロ:新田 幹男
サキソフォンソロ:須川 展也
トロンボーン:新田幹男、竹本裕一、照喜名有希子
クラリネットソロ:関口 仁
トランペット:奥山 泰三、安藤 真美子、中尾友紀
サキソフォン:田中靖人、池上政人、仲田守、栃尾克樹
サキソフォン:オリタノボッタ

指揮:仲田 守 近藤 久敦
演奏:名古屋ウィンドシンフォニー
料金 高校生以下 1,500円
大人4,000円

詳細はこちらへ↓
名古屋ウィンドシンフォニーHPhttp://nagoyaws.com/concertinfo.html



長々とすみません[あせあせ(飛び散る汗)]
2/1までなかなかブログアップできなくなるので、近々の予定をお知らせさせていただきました♪
練習、本番、頑張ります!!!!!
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Clair de lune [クラシック]


Clair de lune ~ Gabriel Fauré
http://jp.youtube.com/watch?v=6PLql0lXeoA

今日は1/15のコンサートのリハーサルでした♪
またチラシ貼っちゃお☆
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今日は1/4ってことは…あとちょっと!
ですが、曲目変更してしまいました♪

「フルートとピアノで贈るニューイヤー・フレンチコンサート♪」
と副題をつけていただいたので、もう少しフランスの作曲家の曲増やそうかと家の膨大な楽譜をあさり…

フォーレとドビュッシーの曲を増やすことになりました。
ブログトップに貼ったyou tubeの曲、フォーレの「月の光」。
そしてもう一つ追加することになったのは、ドビュッシーの同タイトル、「月の光」。

Clair de Lune ~ Debussy
http://jp.youtube.com/watch?v=FcpamvLB2JU


フランスを代表するこの2人の作曲家に限らず、この「月」を主題とした音楽が、昔々から世界各地でたくさんの作曲家によって作られてきました。日本では「朧月夜」が有名ですよね♪
(ちなみに有名なベートーヴェン「月光」ソナタhttp://jp.youtube.com/watch?v=bpVA2rxvkAYの「月光」という標題は作曲者の意図するところではなく、ベートーヴェンの死後、レルシュタープという人が第1楽章について「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」とコメントしたことに由来するらしい)



今よりずっとずっと空気もきれいで自然に満ちていて音も光も少なかった時代…
きっともっと月は綺麗で大きな存在だったに違いないって思う。

現代に生きる私も、ふと見上げた月がすごくキレイでずっと見ていたくなる時があります。
でもその感動をそのまま記憶したり、他人に伝えることなんて難しい。

掴めない美しいものへの憧れ…

それに自分の想いを重ねて、音楽や言葉、絵画などに表現してきた人々。
そしてきっとこれからもそうしていくことなんでしょうね。。美しい自然がずっとそこにあるならば。




フォーレの作曲した「月の光」は、1887年フォーレが42歳の時に作られました。
彼はヴェルレーヌの詩に多数の曲を書きましたが、初めて曲をつけたのがこの詩です。
最後に、この曲のヴェルレーヌの歌詞を載せておきます♪


「月の光」

 あなたの心にひそむ 私の知らない風景には
 にぎやかな踊りの仮面舞踏会と 漂うリュートの調べ
 そうした陽気な姿のうちに 悲しみの影が差す
 
 もの悲しい調子で歌われるのは 
 恋の勝利と人生の歌
 幸せを信じてはいないあなたの声が
 差し込む月の光に溶けてゆく

 月の光はいつも悲しく美しい
 枝に止まり夢を求める小鳥を照らし
 大理石の像より高く吹き上げる噴水を
 すすり泣かせては降り注ぐ
                   ポール・ヴェルレーヌ




本番まであと少し!
この大好きなフォーレとドビュッシーの作品も仲間入りしたので頑張らなくては☆
ちなみに1/15他に演奏する曲目は、下記のようになりそうです♪たぶん♪

 ムーケ     「パンの笛」ソナタより
 フォーレ   シシリエンヌ&月の光
 ドビュッシー  月の光&小船にて
 ショッカー   「フランスの音楽」より
 プーランク   愛の小径
 ボルヌ     カルメン幻想曲     
+山内さんのピアノソロもお楽しみに♡
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Ave Maria [クラシック]


Ave Maria/ Elgar
http://jp.youtube.com/watch?v=9ySKVTYfbAc

あけましておめでとうございます!!!

2009年も何卒宜しくお願い致します[ハートたち(複数ハート)]
今年もいろいろとがんばるぞー!![ぴかぴか(新しい)]

皆さんはどんな年越しをしましたか??(^^)
私はお蕎麦食べて、紅白歌合戦→ジルベスターコンサート→CDTVと、テレビ漬けでした(笑)
aikoかわいかったなぁ…やっぱり大好き[揺れるハート]
そして母と2人カンパイしました☆まったり~[かわいい]

元旦はゆっくり寝て、食べて、テレビ♪
そして久々に「美の巨人たち」を観ることができました☆
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/index.html

この番組、忘れた頃に見て、その度に感動します♪
映像も音楽も、構成も、ナレーションも素晴らしい☆そしてナビゲーターの小林薫さんが素敵 [揺れるハート]

you tube はっつけたのは、今日使用されてた音楽で、エルガーの「アヴェ・マリア」です…心に響きました[るんるん]



2008年初めに行ったフランス。私は本当にこの国が好きになりました![晴れ]
訪れたところは本当にフランスの中でも超観光名所の中の一部だけだったけど、本当に素敵だった !![晴れ]

今日の「美の巨人たち」のテーマは、「フランス珠玉の礼拝堂」。感激であっという間の二時間でした!

今回はスペシャルでマティス、コルビジェ、ドラクロアなどお馴染みの画家や建築家が手がけたフランスの礼拝堂をとりあげていました。
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(この写真はコルビジェの手掛けた「ロンシャンの礼拝堂」詳しくはコチラにありました☆↓
http://www.geocities.jp/soleil_kei/ronchamp/ronchamp.html#ronchamptop
作られた場所が炭鉱の町であったことに対しての配慮。母への想い。そして皆が平等に、祈り、平和、心からの喜びのための静寂な場所を創りたかったというコルビジェの思いに感動しました。)

芸術家は何故、礼拝堂を作りたがるのか?
そこに込められた思いとは?
そこでは圧巻の光の魔術が待ち受けていました・・・。



全てよかったんだけど、その中のひとつ「ロザリオ礼拝堂」を取り上げてメモしたいと思います♪

☆アンリ・マティス「ロザリオ礼拝堂」
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南フランス、コートダジュール。紺碧の海岸と呼ばれるこの地方のリゾート地、ニースの北の山裾にヴァンスという小さな村があります。その山肌に建つ礼拝堂、アンリ・マティス作『ロザリオ礼拝堂』。訪れるなら冬の午前11時もっとも好ましいといわれている小さな礼拝堂はその瞬間、楽園となります。

 光を送り出しているのは壁一面のステンドグラス。使われている色は青、緑、黄色の3色のみです。ステンドグラスと向かい合わせの白いタイルに描かれた輪郭だけの聖母子像は、光の色に染まった花の中で、幼子イエスが十字架を暗示するかのように両手を広げています。祭壇の背後にはこの修道会を開いた聖ドミニコの姿があり、太陽の光がその姿を様々な色で包んでいきます。礼拝堂の入口を振り向くと、14のシーンからなるキリスト受難の物語が描かれています。白と黒の単調な世界が、コートダジュールの光を受けて色彩をまとう。画家が夢見た魂の楽園がそこにあったのです。
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 アンリ・マティスは20世紀の芸術をリードした巨匠。彼は77歳の時にこの礼拝堂の設計に取り掛かり、完成したのはその4年後の81歳の時。マティスは打ちひしがれた人が見て、平和とやすらぎを見出せることを望み、この礼拝堂の設計を手掛けました。すべての苦悩を癒すように、穏やかな光に包まれたロザリオ礼拝堂。色彩の魔術師と呼ばれ、20世紀を代表する画家となったマティスが、最後の力を注ぎ込んだ作品です。

 色彩の魔術マティスが色彩と構図を極限まで突きつめるようになったきっかけは、セザンヌでした。見えるままに描くのではなく、面と色彩を駆使して対象をキャンバスの上で再構成させるセザンヌの技法に、若きマティスは夢中になりました。印象派の次の時代を模索するマティスは、ほとばしるような色彩による構成で「野獣派」と呼ばれるようになります。

 マティスが初めてニースを訪れたのは、1916年の冬。ホテルの窓を開けた瞬間、ニースの虜となりました。以来、冬になると必ずニースで過ごすようになります。1939年、マティスはニースのアパルトマンにアトリエを移します。そのすぐ近くにあるマティス美術館には、ロザリオ礼拝堂の資料が数多く残っています。壁に描かれた聖母子像の習作には顔がはっきりと描かれ、聖ドミニコにも優しげな表情が描かれています。当初マティスはリアルな顔を描こうとしていましたが、途中でそれをやめてしまいました。聖母マリアやイエス、そして聖ドミニコの顔は、誰もが心に描くことができる普遍的なものだとマティスは考え、あえて輪郭線しか描きませんでした。彼は「絵を描くのは易しそうだ」と言われるような絵を描こうとし、そのために試行錯誤を繰り返しました。当時80歳近かったマティスは、立ち上がることすらできない時には竿を使ってベッドの上から壁に習作を描いたといいます。そこまでマティスが礼拝堂建設に没頭したのには、ある訳がありました。
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 1939年、第2次世界大戦が勃発し、ヨーロッパは戦火に包まれます。その頃、71歳のマティスは十二指腸がんによる2度の手術で死線をさまよっていました。看護師モニクの手厚い介護によってかろうじて一命を取り留めたマティスの元に、パリでレジスタンス活動をしていた妻と娘がナチスに拘留されたとの知らせが届きます。マティスは次々と起こる過酷な運命にひたすら耐えました。やがてニースでも空襲が始まると、山間の町ヴァンスに移り住み、戦争や苦悩を感じさせない、平和で穏やかな絵を描き続けました。戦時中、マティスは戦争を無視し続け、自分に与えられた使命は平和のためだけに絵を描くことだと固く信じていました。

 1947年、戦争が終わり、病も何とか落ち着いた頃、ヴァンスのアトリエの向かいにある修道院から使者がやってきます。焼け落ちた礼拝堂を再建するため、ステンドグラスのアドバイスをしてほしいとの要請のためでした。その修道女こそ、大手術の時に看護してくれたモニクでした。この再会に運命を感じたマティスはステンドグラスだけではなく、礼拝堂の設計のすべてを無報酬で請け負い、人生最後の力をこの礼拝堂に注ぎ込みました。やがて太陽の光が生み出す色彩に、マティスは思ってもみなかった色を見つけます。それは、光と色彩の競演から生まれた不思議な色でした。

 色の印象とは、隣に配置する色によって異なってくるため、色の構成はとても重要となります。マティスは色紙を切り抜いて配置し、何度も色の効果を確かめながら、ロザリオ礼拝堂のあの強烈な色の世界を生み出しました。モチーフは聖書に登場する命の樹。祭壇奥のステンドグラスにも命の樹が描かれています。緑を背景に乱舞する黄色い花と青い葉。しかし当初、モチーフは全く違うものでした。それは修道女を象徴する生き物、蜜蜂。マティスは花畑を飛ぶ蜜蜂を、色とりどりの切り紙で表現し、ステンドグラスの効果を探っていきます。しかし、実際に描いたモチーフは命の樹、使った色は青、緑、黄色の3色だけ。マティスは単純な色ほど人間の感情を揺り動かすと考えたのでした。作品の仕上がりは、色彩の光が当たる面と、白と黒の素画による壁画とのバランスをどう取るかにかかっていました。

 マティスは礼拝堂の設計にあたって、空、植物、光という3つのテーマを選び、それぞれを示す色として青、緑、黄色を使いました。しかし、それではマティスの好きな赤が使えないという不満が残ります。ところが、いざ作ってみると、光が床に反射して青と緑が混ざるところができ、そこに赤紫色が生まれました。マティスはこの偶然の発見に大喜びしたといいます。マティスは礼拝堂自体の設計に加え、石造りの祭壇、燭台、十字架像、書見台、修道女席、さらに聖水盤まで、この礼拝堂のすべてのデザインを手掛けました。ここはまさにマティスの理想の空間でした。

 1951年、礼拝堂は完成し、マティスはその4年後に84歳でその生涯を閉じました。芸術で愛を表現しようとした画家が生み出した救いの空間、アンリ・マティス作『ロザリオ礼拝堂』。光を追い求めた男が辿り着いた理想の楽園。


☆マティスの言葉

「私にとって表現とは、人間の表情のなかに浮かび上がったり、激しい動きによって生み出されるような情熱のなかにあるのではありません。表現は、私の作品のあらゆる位置関係のなかにあるのです。たとえば人体が占める位置とか、そのまわりにある空間とか、プロポーション、そういったすべてがそれぞれの役割をもっています。構成とは、画家が自分の感情を表現するために配置したさまざまな要素を、装飾的なやり方で並べる技術なのです」

「自身の最も創造的な功績は、色彩によって空間に対する感情を実現したことです」

「色を変えたとき、新たなつりあいをとるために形も変えざるをえなかったんだ。時には、私の絵はまったく変わってしまうことがある。感情はそのままなのにね」

「いつも自然をよりどころとするように習慣づけているんだ。重要なのは注意を集中することだ。葉っぱがどのようにできているか、小葉が葉柄にどういうふうにつながっているか、どんなリズムで葉が分布しているか、といったことを、きちんと見きわめることだ。東洋では、葉の間の空間も葉自体と同じように重要視されている。それぞれの植物はひとつの宇宙であり、その組織の秘密を保持している。その秘密は研究を通してしか明かされない。自然はひじょうに多くの美を私たちに与えてくれるが、私たちはもうそれに驚かなくなっている。もう見ようとしないんだ、無感動になってしまって」

「私が夢見るのは人の心を乱し、気を滅入らせるような主題のない、調和のとれた、純粋で静謐な芸術である」
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Arabesque [クラシック]


Arabesque Claude Debussy
http://jp.youtube.com/watch?v=QCbHkBGInXk

もうすっかり寒くなって、今年もあとちょっと。
思えば今年は絶えず本番があって、本当に楽しかった♪

そして、お仕事だけじゃなくて病院や老人ホーム、児童館で、日ごろコンサートに足を運ぶことの難しい方を対象に、信頼できる仲間で演奏できたことが何より嬉しかった。

聴いてくださった方に喜んでいただいた事。
たくさんの笑顔に出会えたこと。
演奏できて心からよかった♡と思える瞬間を味わえたこと。。

今振り返ると楽しく、そして幸せな一年だったなぁと思います♪
この気持ちを忘れずに、これからも頑張ろう!!



…しかーし!!まだまだ、終わっておりません(u u*)

12/21日には、私がフルート演奏家・講師として勤務している施設で、クリスマスコンサートが行われるのです☆
皆さんご存知「マッチ売りの少女」のお話を音楽朗読劇として作曲家の方が曲を作って下り、私達が音楽を担当するという、けっこう大掛かりなコンサート♪
《詳細はコチラ↓
http://www.town.nagakute.aichi.jp/bunka/bunka/bunka/jisyu-schedule/2008jisyu/souzoustaffxmas.html 》
同日、午後5時30分~6時、同館アトリウムにて歌、ヴァイオリン、フルート、ピアノでイブニングコンサートも行います♪
いずれもファミリー向け、入場無料です(^^)

そして、以前「お知らせ」ブログに書きましたが、1/15、2/1にも本当に楽しみなコンサートが待っています♪
あぁ、毎日音符に追われる日々…(^▽^)♪練習がんばらなくては!!



でも最近、ちょっと体調がおかしくて(・w・)
体に症状が次々に出始め、フラフラしてきちゃったので、ついに病院にいきました。

「う~ん、ストレスかな~」
とお医者さんに言われました。一応血液検査して、来週結果を聞きにいくんですけどね。

そんなこんなで最近、フルートの練習やら人生やらに疲れたら、ピアノをてきとーに弾いたりしています(笑)
とは言っても、私はピアノ超下手くそで、好きな曲しか弾こうとしません。練習も全くしません。

大学時代の副科ピアノのレッスンで、たった一曲だけ、暗譜で弾けた曲がありました。
ドビュッシー作曲「アラベスク第1番」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%AF

この曲が大好きで大好きで♡♡♡
ず~っと弾いていたい♡そんな曲でした(^^)

ところが…卒業して何年も経つと、次第に忘れていき…久々に思い出そうと思っても…デテコナ~イ(; ;)
あまりに悲しかったので、楽譜をコピーして、改めて弾き始めました(・▽・)♪

「ホンバンの曲、まだできてないんだから、フルート練習しなさい!!」

って、自分でも思うんだけどね…。 
でも、鍵盤思い切り弾くと、超ストレス発散!!

心がぐるぐるしたままで美しいメロディーは奏でられません♪
心にストレスをためたままで、幸せな曲は演奏できません♪

フルート練習して、ピアノ弾いて、友達に会って、おいしいもの食べて、いい音楽を聴いて、よく寝なきゃ☆
…ということで、再びAAAに行って、寝ることにします(u u*)おやすみなさ~い!  
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Karajan - Brahms Symphony 1 [クラシック]

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カラヤン&ベルリンフィル(ユニバーサルミュージック) より
「カラヤン/ロンドン・ラスト・コンサート1988」
シェーンベルク:浄夜
ブラームス:交響曲第1番

この第4楽章がタワーレコードでかかっていて、感動してちょっと泣いてしまった♪
1800円くらいだったかな? 即買いしちゃった(^^)

ここではそのCDの音をのっけられないので、カラヤン=ベルリンフィルによるブラームスの交響曲第1番の演奏、you tube で見れないかな?と思って探してたら、1981年東京公演you tubeがありました♪

第1楽章
http://jp.youtube.com/watch?v=hCo1iBkcta0
http://jp.youtube.com/watch?v=7ICvnulx30k
第2楽章
http://jp.youtube.com/watch?v=4YPKDzP9kWo
第3楽章
http://jp.youtube.com/watch?v=lus8YZR0sH0
第4楽章

http://jp.youtube.com/watch?v=ff71UONHJHQ

http://jp.youtube.com/watch?v=PZXE5FoJz_I
素晴らしい♡
(この主席フルーティストのアンドレアス・ブラウさんは、私の師匠の師匠♪そして、ずっとCDで聴いていた超憧れのお方。特にオペラ「カルメン」のCDは何回聴いたことか…。そしてそして、今年私もレッスンを受ける機会に恵まれました♡至近距離で美音聴けて超幸せ♡バッハのE-durソナタのレッスン、素晴らしかったです♡)


この東京文化会館カラヤン=ベルリン・フィル来日公演が行われた1981年の、小澤征爾との対談you tubeもありました♪
http://jp.youtube.com/watch?v=2zRxi-6bkzw
「ブラ1冒頭はフルートを聴け!」(ドキッ)など、「指揮者は自分の考えを示すこと。全部自分でやるのは不可能なんだから」ってカラヤンさんおっしゃってます。あとはyou tubeみて♪

そして、白髪になった小澤さんが後にカラヤンについてこう語っています。
http://jp.youtube.com/watch?v=A7oz8-67b60
カラヤンが語ったことと同じこと言ってますね♡

そういえば、数年前にレッスンを受けたことのあるベルリンフィル主席フルーティストのエマニュエル・パユさんの木管五重奏(レ・ヴァン・フランセ)のコンサートを聴きに行った時、彼らは殆どアインザッツ(フレーズのはじめの合図)出さずにピッタリ音が合っていて、全てにおいてスゴイ!!と思ったのを思い出しました。



ちなみに私はブラームスの交響曲が大好き♪
4曲あるんですが、全部素晴らしくて♡
フルートの使い方が最高で、吹いていて本当に幸せなんです♪(特に2番・4番が最高♪)

この交響曲第1番の第4楽章(YOU TUBEで2:56から)にもホルンに続くフルートのどソロがあって、その響きといったら…ほんとうに天国系で。壮大な自然、どこまでも続く美しく大きな空を想像せずにはいられません。

カラヤンが生涯を通して最も多く演奏した交響曲は、このブラ1。
このCDでは晩年のカラヤンが築き上げてきたベルリンフィルとの音楽、素晴らしい絆が録音と共に甦ります。

オーケストラはやっぱりライブで聴くのが一番!と思いますが、こういった名演の録音をCDを通して聴けるのは本当にありがたいものです♪

特に若い世代のクラシック音楽離れが深刻になってきていますが(私たちの立場にとっては…かなり^^;)、何百年も前に作られ、繰り返し繰り返し演奏されてきた素晴らしい音楽を、是非じっくり聴いてほしい。できればコンサート会場に足を運んでいただいて♪
忙しい日常、問題だらけの現代社会から離れて、音楽だけにじっくり浸れる空間。
そこにはきっと、別世界が待ってるはず♡



✾Wikipedia✾
ヘルベルト・フォン・カラヤン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB
ヨハネス・ブラームス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9
交響曲第一番
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)
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Hilary Hahn plays Korngold [クラシック]


Hilary Hahn plays Korngold Violin Concerto mov.1
http://jp.youtube.com/watch?v=3EsYUuGo8XA

私の大好きなヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンさんについて、ちょこっとご紹介します♪

ヒラリー・ハーン
(1979年11月27日 - )はアメリカ合衆国のヴァイオリニスト。 バージニア州レキシントンのドイツ系移民出身(3歳の時ボルティモアに移る)。 経歴3歳11ヶ月のとき、地元ボルティモアの音楽教室(スズキ・メソード)でヴァイオリンを始める(1年間)。その後クララ・ベルコヴィチを経て、 1990年 10歳でフィラデルフィアのカーティス音楽学校に入学し、17歳までウジェーヌ・イザイ最後の門下生ヤッシャ・ブロツキーに師事。 ブロツキーの死後は19歳までハイメ・ラレードに師事。室内楽の勉強にも力を入れ、Felix Galimir と Gary Graffmanに師事。 1991年10歳の時に、Leakin Hallにて初リサイタル。 メジャーオーケストラとの初共演は、1991年12歳の時にボルティモア交響楽団と(曲目:サンサーンスのバイオリン協奏曲第3番。指揮はアソシエート・コンダクターであった小松長生)。 その後、クリーブランド、ピッツバーグ、ニューヨークの各オーケストラとも相次いで協演した。 1996年にはカーネギーホールにおいてフィラデルフィア管弦楽団と協演。 同年 ソニー・ミュージックエンタテインメントと契約。 1997年、デビューアルバムである「バッハ:無伴奏ソナタ・パルティータ集」がディアパゾン・ドール賞を受賞し、話題となる。 1999年 カーティス音楽学校を卒業(必要単位取得後も勉強を続けるために在籍していた。) 2001年 タイム誌の"America's Best"において"young classical musician"に選ばれる。 2003年に、ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団と共演したブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音により、グラミー賞を受賞。 同年、活動方針の食い違いからソニーを離れ、ドイツ・グラモフォンと契約 現在、ソリストとして世界中で演奏活動を続ける一方、室内楽でも活躍している。また、映画のサウンド・トラックやロックミュージシャンのアルバムにおいても演奏するなど、活動の幅を広げている。 《人物》とても気さくにアンコールを演奏してくれる。 身長163cm。 完璧主義者で小さなミスも許さない。 気さくにサインや写真撮影に応じてくれる。 菜食主義者。 カフェイン,アルコール、煙草が苦手。 英語の他、ドイツ語とフランス語,日本語に堪能。

初めてテレビで彼女の演奏を聴いたときは、目も耳も釘付けになってしまいました。カッコイイ…!素晴らしい!!1/11、名古屋での彼女のリサイタル行くのですが、本当に楽しみです♪(^^)



エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト
(Erich Wolfgang Korngold, 1897年- 1957年)はオーストリアアメリカ合衆国で活躍した作曲家。ユダヤ系。 彼は音楽評論家ユリウスの次男として、モラヴィア地方のブリュン(現在はチェコのブルノ)に生まれた。 幼い頃から作曲の才能を示し、モーツァルトと同じ名前と相まって「モーツァルトの再来」と呼ばれる程の神童ぶりであった。 9歳の時に作曲したカンタータはマーラーを驚愕させ、11歳の時に作曲してツェムリンスキーがオーケストレーションを手伝ったバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で初演され、満場の拍手をもって迎えられた。いくつかの幼少期の作品は、マーラーが善意で手伝ったという説すらある。 12歳で書いた『ピアノ・ソナタ第1番』はリヒャルト・シュトラウスに戦慄と恐怖を与え、名ピアニスト、シュナーベルは13歳の作品『ピアノ・ソナタ第2番』をヨーロッパ中に紹介し、ベルリン・フィルの大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに『劇的序曲』を委嘱する。 幼少時の最高傑作『シンフォニエッタ』を完成させた15歳の頃には、コルンゴルトは既にプロ作曲家として第一線で活躍していたのである。 16~18歳で書いたオペラ、『ポリクラテスの指環』(Der Ring des Polykrates)、『ヴィオランタ』(Violanta)はプッチーニの絶賛を受け、この成功によってオペラ作曲家としての地位を確立し、1920年、オペラ『死の都』(Die tote Stadt)の大成功によって、弱冠23歳にしてオペラ作曲家としての世界的評価を確立する。 1927年、満を持して作曲したオペラ『ヘリアーネの奇跡』(Das Wunder der Heliane)を初演した当時、コルンゴルトの名声は頂点に達し、ウィーン市から芸術勲章を、オーストリア大統領からはウィーン音楽大学名誉教授の称号を贈られ、さらに1932年、大新聞『新ウィーン日報』のアンケートで、シェーンベルクと並んで存命する最高の作曲家に選ばれた。結局この時期が事実上、クラシック音楽作曲家コルンゴルトの絶頂期であった。 1934年、マックス・ラインハルトの招請でハリウッドに赴き、映画音楽の作曲を手がけた頃から彼の名声に陰りが出始める。その後、ウィーンとハリウッドを往復する日々を送りながら、『ヘリアーネの奇跡』以来久しぶりのオペラ『カトリーン』(Die Kathrin)を書き上げ、初演を間近に控えていた1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合により、『カトリーン』初演は流れ、ユダヤ系だったコルンゴルトはアメリカに亡命し、仕方なく映画音楽を書きながら亡命生活を送るよりなかった。 生活のためにオペラを諦め、映画音楽を書くことになったが、それでも美しい旋律、純音楽から学びし管弦楽法は、緩みきった映画音楽業界を変える事となった。 1935年に、初期の傑作『海賊ブラッド』(Captain Blood)を書き大絶賛された翌年、1936年に『風雲児アドヴァース』(Anthony Adverse)でアカデミー作曲賞を受賞。40以上のライトモチーフを使い、オペラ並みの作品に仕上げている。ただ、あまりにも出来が良すぎて、賞はワーナーの音楽部門全体に贈られ、オスカーは音楽部長が受け取ってしまった。 1938年には『ロビン・フッドの冒険』(The Adventures of Robin Hood)で2度目のアカデミー賞に輝く(今度はコルンゴルト自身がオスカーを獲得)。コルンゴルトは最初、この作品のスコアを書くのを断ったのだが、ワーナー音楽部長の説得とナチス・ドイツによるオーストリア併合により仕方なく引き受け、オスカー獲得につながった。 コルンゴルトは映画音楽作曲をオペラ創作の延長上に見なしており、マーラーリヒャルト・シュトラウスから直接学んだ後期ロマン派的作風を、そのまま映画音楽に持ち込んだ。また、気に入った映画音楽は自作の芸術音楽に転用できる権利も保有していた(実際、ヴァイオリン協奏曲や弦楽四重奏曲第3番などが作曲された)。大管弦楽団を使ったシンフォニック・スコアは、後のハリウッド映画音楽の基礎となり、映画音楽の先輩にあたるアルフレッド・ニューマンや、後世のジョン・ウィリアムズにも多大なる影響を与えた。 1946年、『愛憎の曲』(Deception)を最後に、純音楽作曲家に戻るべく、新作を携えウィーンを訪れるも、当時の映画音楽に対する評価の低さや、後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の音楽業界から受け容れられず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて事実上楽壇から抹殺され、失意の内にハリウッドに戻り、不遇の中、同地で1957年、脳溢血で死去。二曲目の交響曲を作曲中だった。遺体はハリウッドのハリウッド・フォーエバー墓地に埋葬されている。 戦後の主要作品としてヴァイオリン協奏曲(ハイフェッツの愛奏曲として知られる)、弦楽合奏のための交響的セレナード、交響曲(フランクリン・ルーズベルトの思い出に捧げられた)、主題と変奏(事実上最後の作品)などが挙げられる。 没後の再評価は1970年代、彼の映画音楽から始まり、二男のゲオルグ・コルンゴルトがプロデュースし、チャールズ・ゲルハルト指揮、ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団演奏による映画音楽集のレコードが爆発的な売れ行きを示した頃から、コルンゴルト音楽の再評価が始まり、この映画音楽集が、『スター・ウォーズ』シリーズの遠因になった事を考えると、現在のシンフォニックな映画音楽はコルンゴルトおよびドイツ後期ロマン派の二番煎じだと言う事もできる。 また、ラインスドルフ指揮によるオペラ『死の都』、ケンペ指揮による『交響曲嬰ヘ調』のレコード等で、彼のクラシック音楽の再評価も始まるなど、『コルンゴルト・ルネッサンス』の端緒がここに始まった。 現在、欧米においてはコルンゴルトに対する偏見は影も形もなくなり、20世紀を代表する作曲家の一人として、その作品群は引く手あまたになり、数多くのCDがリリースされ、多くの一流演奏家がコンサートで取り上げている。ハイフェッツ生誕百周年を記念した音源の復刻や評伝の出版などを通じて、この作品の存在が浮き彫りにされ、またそれに前後して、ギル・シャハムやヒラリー・ハーンらの若手による積極的な録音やコンサート演奏により、この作品の魅力が再発見されるに至った。中堅ヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムターの録音は、ハイフェッツのそれと並び称せられるに相応しい名演奏が繰り広げられている。こうして現在では、サミュエル・バーバーの作品と共に、20世紀の新ロマン主義音楽の代表的なヴァイオリン協奏曲に数えられるようになった。

コルンゴルドもまた、時代に翻弄された音楽家の一人だったのですね…。私はこのyou tubeで初めてこのコンチェルトを聴いたのですが、とても好きになりました♪ヒラリー・ハーンさんの演奏がこの曲の魅力を最大限に引き出しています(^^)ほんとに素晴らしいです!!


第2楽章

↑ロマンティック♡

第3楽章

↑ほんとに映画音楽のようでかっこよくて、楽しい♪興奮します♡
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On Wings of Song - Mendelssohn [クラシック]

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今日はお昼までうだうだ寝ていました。
私を叩き起こしたのは、「みとにとに行くよ~」というかわいい声。

私は母と二人暮らしをしてるのですが、昨日は姪っ子のあーちゃんが「ばぁばん家泊まる~」と泣き落として、お泊まりしていきました♪←しょっちゅう(^^)

あーちゃんは今小学校一年生。
妹の子供で、母にとっては初孫。
(その下が5歳、それから弟の子供が3歳、1歳…大おばちゃんなの♪)
私の母はピアノの先生をしていて、あーちゃんは母にピアノを習っています♪

この子が、かわいくてかわいくて♡♡ (もちろん姪甥みんなかわいい♡)

今日はあーちゃんのピアノの発表会で私と初共演をする予定の曲決めをしました。
あーちゃんが「この曲やる!」と言った曲は、メンデルスゾーンが作曲した歌曲「歌の翼に」をフルート&ピアノに簡単にアレンジしたもの。
とってもキレイな曲で私も大好きなので、本番が楽しみ♪


On Wings of Song - Mendelssohn
http://jp.youtube.com/watch?v=xR__BPNfsBk
曲目解説はコチラ↓
http://www.worldfolksong.com/songbook/masterpiece/tsubasa.htm

昨日のお仕事でも思ったけど、子供の目はホントにキレイ♡
そして喋ることもホントにストレートで、時々ドキっとします。
あーちゃんの演奏は、時々驚くほど大人っぽくて表情豊か♪
環境ってやっぱり大事なんだろうなぁ。すごいなぁ…なんて、オババカかしら♡

思えば私も母のピアノやレコードを聴いて育ったので、音楽が自然にそこにあった。
ピアノはあんまり弾けないけど、音感とかいろんな音楽を自然に吸収してたのかも。
お仕事は音楽。趣味も音楽。。よく不思議がられるけど(^^;

大人になればなるほど少なくなる自分の自由な時間に、何に楽しみや癒しを求めるのか。
それってやっぱり子供時代の環境にも影響があるんだろうなぁ。

AAAに訪れるみなさんは、どんな子供時代を送っていたんだろう?
なぁんて、ちょっと気になったりして。

私にとっての癒しはやっぱり音楽、映画、ドラマ、旅行…食べ物!!(姪甥も♡)
それは、姪っ子のあーちゃんとカンペキにかぶっています(^^)

今日のランチは雨の中、ばぁばと、あーちゃんと「まことや」ってとこの味噌煮込みうどんを食べてきました♪
あーちゃんはまだうまく発音できないため、
「『まととやのみとにとに』に、あーちゃんはいっつもエビのてんぷらつけるの!」
と言っていました♡かわいい♡
一番好きな食べ物は、「みとにとに」と、「まぐろ!」だそう(笑)



名古屋名物の味噌煮込みうどん、是非食べに来てくださいね♪
あとは、きしめん、味噌カツ、名古屋コーチン、スガキヤラーメン、ゆかり(エビせんべー)も有名♡

いつか東京・大阪の間にある名古屋でもODD会できるといいな☆
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Cavalleria Rusticana - Intermezzo [クラシック]

2008/11/07
http://clip.lycos.jp/tomomiffy/75031


Cavalleria Rusticana - Intermezzo/Mascagni
http://jp.youtube.com/watch?v=9MqTvfXIzug



今日はとあるドイツ人フルーティストのレッスンを受講してきました♪

先生のレッスンを受けるのは二度目。

私が受講したのはJSバッハの次男CPEバッハの無伴奏フルートソナタ。私はこの曲が好きで、今までにもいろんな国のフルーティストにレッスンを受けてきた。



今日のレッスンでは、目から鱗な発見がたくさんあった。それを語りだすと長く、とても専門的になってしまうので、やめときますが(^^;



少し言うと、200年以上昔に遠い国ドイツで生まれた曲を勉強するということは、当時の作曲スタイル、当時の楽器の特性、前後の時代の作風との違いまで研究しなければならない。何故なら現代の楽器や演奏スタイルとは全然違うのだから。ただ楽譜書かれている音を出すだけでは全然足らない。



聴いて、研究して、考えて、練習して、本番で吹いて、また勉強して…の繰り替えし。でも、日本にいて、古楽器の生の音に触れる機会が殆どない状況下においては、研究っつっても限界がある。そういう点でも、今日のように本場ヨーロッパから現役バリバリで活躍されているフルーティストのレッスンを受けられる、或いは聴講できるというのは、とても貴重な機会をいただいたと思います。



本当に勉強になりました☆ いっぱい発見できて楽しかったなぁ(^^)

こうして勉強して吸収して、少しでも自分の幅を広げていきたい♪

明日はそのフルーティストさんのリサイタル!!超楽しみだなぁ♡♡♡



ではここで一曲♪うつくしークラシックの超名曲をお届けします(^^)

マスカーニ作曲、カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲。









☆ピエトロ・マスカーニ(1863- 1945)は、19世紀末イタリアのオペラ作曲家、指揮者。

代表作「カヴァレリア・ルスティカーナ」によって驚異的な成功を収めるが、不幸にもこれがその後の多くの作品を霞めてしまった。

存命中は、オペラで驚くほどの成功をおさめ、同時に指揮者としても非常に成功を収めた。マスカーニの作風は、友人でライバルだったプッチーニとは大変に異なっている。おそらくそのために評論家筋からマスカーニ作品は過小評価されてきたのだろう。

ファシスト政権が誕生すると、スカラ座監督の座を狙ってムッソリーニに接近。このため、第二次世界大戦でイタリアが降伏した後、全財産を没収され、ローマのホテルで寂しく生涯を閉じた。遺体はローマに葬られたが、1951年に故郷のリヴォルノに再埋葬され、それと共に名誉回復された。



☆カヴァレリア・ルスティカーナ(Cavalleria Rusticana、「田舎の騎士道」といった意)は、1880年に出版されたイタリア人小説家ジョヴァンニ・ヴェルガによる小説、同人による1884年に初演された戯曲、およびピエトロ・マスカーニが同戯曲に基づいて作曲し1890年に初演された1幕物のオペラそれぞれの題名である。今日特にイタリア語圏以外ではこのオペラ作品の方が有名となっている。本項目でもオペラを中心に記述する。

ヴェルガの出身地シチリアの山間部を舞台として、貧しい人々の暮らし、三角関係のもつれから起きる決闘と殺人を描いたこの小説は、イタリアにおける「ヴェリズモ」(リアリズム文芸運動)の典型的作品とされている。

一方マスカーニのオペラは1890年に完成。このオペラは「ヴェリズモ・オペラ」形式の端緒をなすものとされる。



☆あらすじ

シチリア島のある村。復活祭の朝。トゥリッドゥはかつて美しい女ローラの恋人であったが、ローラは彼の兵役中に馬車屋のアルフィオと結婚してしまったのである。除隊後帰郷したトゥリッドゥは、いったんはローラを忘れるべく、村娘サントゥッツァ(サンタ)と婚約したが、結局は留守がちなアルフィオの目を盗んでローラと逢引を重ねる仲に戻ってしまった。これはサンタの知るところとなる。サンタは怒りのあまり、そのことをアルフィオに告げてしまう。アルフィオは激怒し復讐を誓い、サンタは事の重大な展開に後悔する。

ここで場を静めるかのように静かに間奏曲が流れる。

教会のミサが終わり、男たちはトゥリッドゥの母ルチアの酒場で乾杯する。アルフィオはトゥリッドゥの勧めた杯を断る。二人は決闘を申し合わせ、アルフィオはいったん去る。トゥリッドゥは酒に酔ったふりをしながら母に「もし自分が死んだらサンタを頼む」と歌う。トゥリッドゥが酒場を出て行きしばらくすると「トゥリッドゥさんが殺された」という女の悲鳴が2度響き、村人の驚きの声と共に、幕。

Adagietto [クラシック]

2008/11/05
http://clip.lycos.jp/tomomiffy/74817


Adagietto from Gustav Mahler's Symphony No. 5.
http://jp.youtube.com/watch?v=7fk0P1eLJks


…今、アダージェットがききたい。



たまにそんなときがある。



今日はとりわけ、この音楽に包まれたい。そんな気分。









グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)はウィーンで活躍した作曲家、指揮者。交響曲と歌曲の大家として知られる。



交響曲第5番嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。この間、マーラーは1901年11月に解剖学者ツッカーカンドル家のサロンに招待され、ここで当時22歳のアルマ・シントラーと出会い、12月には婚約を発表、翌1902年3月9日に結婚した。この年の11月3日には、2人の間に長女マリア・アンナが誕生している。メンゲルベルクによると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。



第4楽章

アダージェット Sehr langsam.(非常に遅く) ヘ長調 4/4拍子 三部形式

ハープと弦楽器のみで演奏される、静謐感に満ちた美しい楽章である。『亡き子をしのぶ歌』第2曲「なぜそんな暗い眼差しで」及び『リュッケルトの詩による5つの歌曲』第3曲「私はこの世に忘れられ」との関連が指摘される。 中間部ではやや表情が明るくなり、ハープは沈黙、弦楽器のみで憧憬を湛えた旋律を出す。この旋律は、終曲でも使用される。

ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』で使用されたことで有名となり、しばしば単独で演奏される。 なお、楽章の表題の「アダージェット」を速度表記の「やや遅く」の意味ととると、演奏指示のSehr langsamと矛盾する。速度表示と見ず、「小さなアダージョ」とでも解するのが妥当であろう。

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